岡山県生協連は、ベトナム研修旅行を企画、去る9月16日(金)〜19日(月)の日程で、ホーチミン市にあるサイゴンコープとツーヅー病院を14名で訪問しました。
実質行動日は9月17日と18日の二日間でしたので、結構ハードな旅程となりました。出発は9月16日11時15分関空発の予定が、6時間遅れの出発となりました。ベトナム南部地方は雨季末期。蒸し暑かったものの滞在中に雨はなく、ラッキーでした。
―― 街の雰囲気 ――
市内の道路という道路は、バイク(170CC以下)の波・ナミ・なみ。中には家族4〜5人の同乗バイクもいて、さしずめ、交互に行き交うアリの行列のよう。その中を縦横に行き交うバス・トラック・乗用車。街の人たちはみんな“曲芸師”の様。
中国人の街チョロン地区の市場で見た光景(衣料品・雑貨・食品など2000店以上といわれる卸しを生業とする業者が1坪あるか無いかの狭い仕切りの中で、床から天井までのおびただしい量の商品に埋もれながら商取引をしている。百均の卸し風景を想像)は壮観というべきか、驚きました。
さて、今回の研修目的の一つ、サイゴンコープ訪問は9月17日午前9時の本部での概要説明を皮切りに、サイゴンコープ15店舗を代表する市内にある二つのショッピングセンターを見学しました。一つは繁華街にあり、一つは郊外型ともいえるお店でした。いずれも来店客で溢れ、日本のお店の新装開店時をイメージする盛況ぶりでした。
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↑サイゴンコープ本部玄関前で |
↑ドイモイ政策により、国営協同組合が生協へ
サイゴンコープ ニャ理事長の挨拶 |
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↑政府より労働英雄勲章を授与された・・・
概要説明を聴く一行 |
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↑デコレーションとボリューム陳列に活気あふれる店内 |
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“野菜の量り売り”にも客の列 |
この光景に、サイゴンコープが地域で根をはり、信頼を得ていること。その結果が地域小売業ナンバー1を築いているんだとの思いを深くしました。
店内があのように繁盛している中で、衣料も雑貨も農産品も陳列棚に乱れが見られず、フリシェルフに維持されていることや万引き防止の仕組みを見、また、お客様への気配り、きびきびした行動などに触れて、本部スタッフと店長(職員)のオペレーション力、マネジメント強化のための指導に大きな努力が払われているとの印象をもちました。
二日目の9月18日は、ベトナム戦争時、アメリカ軍によって投下された枯葉剤爆弾(ダイオキシン)の被害者(児)治療を行っているベトちゃんドクちゃんで知られる婦人科専門病院を訪問しました。
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↑ツーヅー病院玄関前で
建物はドイツ 設備は日本の支援で! |
↑ドクちゃんも24歳に
病院職員として活躍中 |
200人の医師と1000ベッドを有し、一日150人の新生児の誕生するこの病院は、建物はドイツの支援団体が、設備・備品などの多くは日 本の支援団体によって寄贈されているとのこと。
いまだに、新生児の約1%が枯葉剤の原因と考えられる障害を持って生まれたり、死産している。今年5月にホルマリンサンプルされた2体も目にしました。
手や足を失いながら不自由な体で人懐っこく「ダッコ」を求める児、乳幼児に一口ひとくち食事を口に運ぶ職員のけなげな姿に心を打たれました。
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↑一行が持参した折鶴を院長に手渡す吉永団長 |
いったい、何の大義で誰のためにこれほどの犠牲を強いたのか。
この日の午後、戦争証跡博物館で展示されていた30数年前のベトナム人への拷問・殺戮の生々しい写真を見て、そして、イラク戦争が重なり、怒りを禁じえませんでした。
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↑一行の気持ちを集めて 募金を託し、日本とベトナムの友好が長く続きますように・・・と記帳する吉永団長 |
元大統領官邸も、作戦会議室、食堂・厨房、地下の通信室、外には官邸突入時の解放軍の戦車などが保存されていました。平和の象徴として。
今からさかのぼれば、中国支配3000年、フランスの占領が解かれて直後アメリカによる侵略、その後のカンボジヤ侵攻と中越戦争。
ベトナムにとってようやく勝ち得た今日の平和がずっと続けられることを願わずにはいられません。
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↑元大統領官邸から市内をのぞむ |
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